思い出すことなど、など(第17話)

第17話:ギリシアの思い出1

 今日から、しばらくギリシアの留学時代(1987年〜89年)の思い出をつれづれなるままに(笑い)、話してみます。
 第1話として、まず、アテネの生活から。
 といっても、私がアテネに滞在したのは、もう30年以上の前のこと。当時ギリシアはまだユーロには参加していなくて、貨幣単位はドラクマ(古代の通貨の名称)でした。おそらく、現在のアテネは、当時とはずいぶん変わったことと思います。

 さて、私がアパートを借りたのは、パングラティ地区、クリシラ通りの9番でした。アテネの中心シンタグマ広場(道の向かいに無名戦士の墓と国会議事堂があります)から、徒歩で20分ぐらいの所でした。

 シンタグマ広場から、アパートまでの道筋を、記憶を頼りに以下に簡単に話してみます。
 シンタグマ広場の近くにザピオン公園があり、それを左手に右手にゼウス・オリュンペイオンを見ながら進むと、コンスタンティヌス大通りにぶつかります。ちなみに、この大通りは暗渠となっており、地下を流れている川が、プラトンの著作などにも登場するかつてのイリソス川です。
 通りの向こうに、パンアテナイア競技場(第1回近代オリンピックの会場:古代の競技場を復元改修)があり、それを右手にして坂を上がっていくと、プラティア・プラステイアという広場に出ます。
 さらに進むと、左手にアルソス・パングラティという公園が見えてきて、その公園の近くから右手方向にクリシラ通りが始まっていました。
 クリシラ9番は、その通りの最初の左手の角に当たります。
ちなみに、ギリシアの通りはすべて名前が付いており(例えばペリクレス通りなど)、その通りの名前と番号で住所を表します。
 
 私が借りた部屋は、2階の2DKの広さでした。全く何も無いからっぽの部屋でしたので、まず最初に、路上に捨ててあったまだ使えそうなマットレスを拾ってきて、シーツをかけてベッド代わりにしました(笑い)。
 無いといえば、電話もなく(今は携帯依存症になっていますが。笑い)、テレビもなく、冷蔵庫もなく、洗濯機もなく、本当にシンプルな生活でした(笑い)。
 それでも、領事部のOさんの好意で、かつての留学生が使っていて残していった品々(冷蔵庫やテーブル)などもお借りすることができ、徐々に部屋らしくなっていきました。

次回、もう少しアテネの生活などを話してみます。

* 私のお気に入りの言葉

明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。

Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.

ーマハトマ・ガンディの言葉より

*今日のニケ

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