思い出すことなど、など(第21話)

第21話:ギリシアの思い出 5

 今日は、私と同じ頃にアテネにやって来た留学生たちとの交遊を、思い出すままにお話ししてみます。
アテネに到着した当初は、不慣れな生活や言葉の壁に、彼らと日本語が話せるだけで嬉しかったですね。また、お互い先の見通しもなく不安の中で、連帯感などもあったかもしれませんね。(私だけかもしれませんが。笑い)

 考古学専門のSさんは、私の2カ月前にアテネ大学に留学していました。年齢は私よりも少し若かったですが、アテネの生活では先輩にあたり、色々とアドバイスを頂きました。私のアパートには電話がありませんでしたから、Sさんがやって来るときはいつも突然ですが(今思えば、何度か無駄足を踏ませたのではないかと思います)、彼とのとりとめのない話は、本当に楽しかったですね。
 あまり、お互いに勉強の話しはしなかったように思いますが、ギリシア人のエゴーの精神、彼らの「いい加減さ」は話題のまとでしたね。(笑い)
(例えば、水道の修理を頼んでも、当日の約束はなかなか守られませんね。「明日」「明日」と先延ばしになります。笑い)
Sさんとは、アテネ周辺を車でめぐり、城塞や塔をご一緒したことなどが懐かしく思い出されますね。
(Sさんは帰国後、N大学に奉職され、今もギリシア史の第一線で活躍されています。)

 Yさんはもともとは、イギリスに留学されシェークスピアを研究していましたが、その後ギリシア演劇に転じました。アテネ大学に留学され、当時、私のアパートの近くにあった現代ギリシア語の学校(The Athens Center)に通っていて、帰りなどにしばしば立ち寄ってくれました。私も、当時「The Athens Center」に通っていて(後日、機会があればお話ししたいと思います)、先生が毎回遅刻するなど、これまた話題はギリシア人批判が多かったですかね(笑い)。
(一言ギリシア人の名誉のために言い添えますと、彼らは、我々外国人に対しては基本親切です。旅行などでは、彼らの親切に随分助けられました。)

 彼女は、帰国後はギリシア悲劇の本を数多く出版され、現在はN大学で教壇に立たれています。

 Rさんは、大学を卒業したばかりの演劇青年で、私とは一回りも年齢が離れていましたが、結構気が合ってしばしば家に遊びに来てくれました。ギリシアの友人なども出来て、若いだけあってギリシア語の上達も早かったですね。帰国後は、一時蜷川の劇団に所属していましたが、いつしか音信不通になってしまいました。
おそらく、いまでも演劇関係の仕事で頑張っていると思います。

 そういえば、Sさんが手配してくれて、彼らと一緒に「蝶々夫人」を見に行ったことがありました。舞台で日本人が、前屈みでぴょこぴょこと歩く姿が印象的でしたね。(ギリシア人から見た日本人は、あんな風なのでしょうかね)

 今日は、アテネに到着した当初、親しくして頂いた留学生仲間を紹介しました。
 次回は、BSAで知り合った留学生や、日本からいらした先生との交遊などをお話しします。

* 今日の格言
我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の4分の3を喪失してしまう。
ーショーペンハウアー

*今日のニケ
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