思い出すことなど、など(第20話)

第20話:ギリシアの思い出4

 今日は、アテネでの留学生たちとの交遊をお話しします。
 私がギリシアに滞在した1980年代後半は、耳にしたところでは、アテネに住んでいる日本人は500人程度とのことでした。商社の人とはおつき合いする機会もなく、もっぱら日本人との交際は留学生たちとでした。
 まず、最初に以前(第8話)で少しお話しした、初めてのギリシア旅行の際にガイドをして頂いたSさんとの交遊について。
 Sさんは留学生というよりOBで、大学院の時にギリシア哲学の研究のためにアテネ大学に留学されました。そして、そのまま日本に帰ることなく、当時、アテネで唯一の日本人のガイド(アテネの旅行ガイドは国家試験で、なかなかのエリートでした)、をしながら生計を立てていました。幸い、私のご近所に住んでいて(歩いて10分ぐらいの所)、アテネに到着した当初は本当に色々お世話になりました。有り難かったのは、アテネにも日本の朝日新聞などが売られていて(おそらく高価だったと思いますが)、少し古くなったものですが束にして、我が家に時々届けてくださいました。当時は、TVもなく、もちろんインターネットもなく(いまでは、世界のどこにいても瞬時に日本のニュースが見られるのでしょうが)、少し古くなった記事でも、日本語に飢えていましたから、隅々まで読んでいましたね。
 Sさんとは、私が週に1回自宅にうかがって、デモステネスの弁論18番『冠について』を一緒に読んで頂きました。Sさんはとても本を大切にしていて、ページをめくる際には、きちんと側に置いているタオルで毎回指を拭いていました。もちろん、書き込みなどは一切ありませんでした。終わった後は、少しお酒を飲みながら談笑するのが楽しみでした。
 少し余談になりますが、後日私が帰国してSさんが亡くなった後、あるとき私が研究会で東大の研究室に伺うことがあったのですが、そこに彼がアテネで収集した貴重な本の一部を見つけて驚きました。話に聞くと縁あって、本の一部は東大に引き取っていただいたようです。
結局、Sさんの仕事や私の方も少し忙しくなり、なかなか読書会は進まなかったのですが、私が帰国する際にはどうにか半分ほど読むことができました。
別れ際に、「あとはお一人で頑張って」といわれたのですが、なかなか帰国後は生活に追われてそのままになってしまいました。

次に、アテネに到着して、アパートを探すのにお世話になったY夫妻との交遊を。
 YさんはSさんと同じく古代ギリシア哲学のご専門で、アテネ大学で博士論文を作成中でした。Yさんとは、かつて日本にもありましたように「貸家あります」の張り紙を目当てに、一緒に歩いて部屋を探して頂き、オーナーとの契約にも立ち会って頂きました。
 Yさんは、ギリシア哲学を研究しているだけあって、本人も哲学者で物静かな人でした。お家に伺った際に、机の上にL&Sの大きな辞書が開いたままになっていて、いつも研究している様子が印象的でした。
 また、Y夫妻は週末に、ギリシア人男性と結婚されてアテネに住む日本人家族と一緒にテニスを楽しんでいて、私も時々参加させて頂きました。その時ご一緒だったK子さんやA子さんからは、アテネでの生活について、色々アドバイスを頂きました。また、K子さんは、私がアパートが見つかるまで、しばらく自宅の一室を提供して下さいました。アテネに着いて、右も左も分からない状態で、本当に色々な人にお世話になりました。

Yさんとは、私の初めての旅行(ペロポネソス半島)にご一緒させて頂き、旅行のノウハウを色々と教えて頂きました。
中でも特に、ワインを冷やす術などは有り難かったですね(笑い)。(部屋には冷蔵庫などありませんから、塗れたタオルを巻いて冷やしました(笑い)
私はお恥ずかしながら手ぶらで付いていったのですが、Yさんは遺跡のプランを用意して、毎回コンパスを片手に撮影の記録を取っていました。
それ以後、私の旅行にも遺跡のプラン、コンパスは必需品になりました。

 これまた、後日談となりますが、Yさんは私が帰国した後に博士号を取られ、その後帰国しました。おそらく、14,5年間はアテネに滞在したのではないでしょうか。Yご夫妻が帰国後は、ご無沙汰していましたが、数年前からは、自宅にうかがいSさんと途中で終わったデモステネスを一緒に読んで頂いていました。結局これまた途中になってしまったのが残念です。
デモステネスとは縁がなかったのですね(笑い)。

 次回は、同じ頃にアテネにやって来た留学生との交遊の話を紹介します。

※ 私のお気に入りの「詩」

帰郷

柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
   縁の下では蜘蛛の巣が
   心細そうに揺れている

山では枯れ木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍(ばた)の草影が
    あどけない愁(かなしみ)をする

これが私の故郷だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

(中原中也『山羊の歌』より)

※ 今日のニケ
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