「思い出すことなど、など」(第10話)

第 10話:

 I君との交遊録は、昨日話したように半世紀ですから、色々ありすぎますね。これから、始終話に出てくると思います(笑い)。

 とりあえず、今日は「江古田」での出会いから。

 我々は大学は別ですが、卒業後それぞれの大学院に進みました。
彼の田舎の友人が、卒業して地元に帰ることになり、アパートが空くことになりました。偶然ですが、それが、「江古田」でした。
彼のアパートは北口から歩いて10分程度、私のアパートは南口から歩いて15分程度でしょうか。

 当時、私のアパートには大学時代たむろしていた連中は、だいたい卒業して地元に帰ったり、就職したりして、すっかり静かになっていました。ようやく、勉強ができる体制になっていました(笑い)。連中が来ているときは、私がレポートを書いているときにも、宴会が始まっていましたからね(笑い)。

 といっても、特に熱心に勉強したわけでもなく、大学院進学(これも、ギリシア旅行の熱に少し浮かされていたのでしょうね。笑い)も指導教官のH先生の情けで(就職活動をしていませんでしたから。笑い)、どうにか進学させて頂きました。

 ところが、今思えばたむろしていた連中より、もっとやっかいなのが来たわけです(笑い)。

 どちらかともなく、夕方になれば毎日電話していましたね、これも、今思えば変ですね(笑い)

 私は、I君の「金魚のフン」のように見えていたようですが(笑い)(後年、私の奥さんの弁)、正直、最初はいつも彼から電話がかかってきていたのですが(笑い)、いつの間にか、立場が逆転したようです。

 ちょうど、駅の南口の「武蔵野音大通り」に、「M亭」という喫茶店があり、そこでいつも会っていました。
 ここは、本当に学生時代お世話になった喫茶店です。民芸風のお店で、お店を入ると右手に4〜5人ほど座れるテーブルが置いてあるオープンの個室があり、中央はカウンター式で(5〜6人が座れる広さ)、狭い通路を隔てて、後ろに2人席のテーブルと椅子が確か3脚ほどあり、奥に4人ぐらい座れるテーブルが置いてある、そういったこじんまりしたお店でした。(ママさんは、佐久の出身の人で、ご主人が近くで民芸品のお店を開いていました)

 どういうわけか、我々のことを気に入ってくれて、なじみとなって一日に一度は顔を出していました。(ちなみに、後年、私が結婚した時に、三次会にお店を貸しきりで使わせて頂きました)

 彼と会うと問題は、お茶だけでは済まなかった点です。一週間に1,2度、お茶の後、駅前の「M」というスナックで、ほとんど朝方まで飲んでいました。彼の帰り道には「新聞配達の店」があるのですが、従業員は働いているわけで、彼は、「この店の前を通るときには、いつも心苦しかった」と後で話してくれました(笑い)。

 それでは、今日はここまで。

 次回は、少し真面目に、私のお世話になった先生方の話をしてみます。

* 私のお気に入りの「詩」

汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かはごろも)
汚れちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れちまった悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
倦怠(けたい)のうちに死を夢む

汚れちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

ー中原中也『山羊の歌』より

*ニケです。
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