おもいだすことなど、など(第11話)

第11話:

 今日は、大学時代、そして大学院時代にお世話になった三人の先生方(既に三人とも鬼籍に入られています)のお話しをします。

 まず、指導教官のH先生ですが、私が大学に入学したおそらく1年前だと思いますが、東大を定年退職されて本学に移られてきました。古代ローマ史、特にキリスト教の歴史がご専門で、御自身敬虔なクリスチャンでした。
 私が、3年になってゼミに参加したときに、古代ギリシア史を学びたいとお話したのですが、いやな顔一つせずに、積極的に他の大学のお知り合いのギリシア史の先生の所に行くことを勧めて下さいました。また、私事ですが、後年私が結婚したときには、先生ご夫妻が仲人を引き受けて下さいました。

 お正月には、何度か成城の自宅にゼミの学生を招いて下さり、奥様のお手製の「お雑煮」を頂きました。先生は、福岡出身で、鰤の入ったすましのお雑煮で歓待して下さいました。(お雑煮といえば、ちょっと、話が私事になりますが、私の田舎(西讃岐)のお雑煮は、少し変わっていて、丸餅にあんこが入っていて白味噌仕立てです。今はもしかしたら少し認知されたかも知れませんが、私が上京した当時は、ほとんど知られていなくて、「大福を入れるの?」と真面目な顔で訪ねられることも多かったですね。結構、毎回この「あんこお雑煮」の話で、新年会は盛り上がっていました 。 笑い)。

 H先生の授業で印象的なのは、ゼミの授業などはいつも目を閉じていることが多くて、原書講読などではいつも眠っているのかと思っていると、突然質問されて驚かされました(笑い)。今思えば、結構きちんと聴かれていたのでしょうね。
 H先生は、野尻湖に別荘を持っていて、一度夏休みに招待されたことがあります。その時に、お孫さんなども遊びに来ていて、普段なかなか見られない好々爺の一面なども拝見しました。

閑話休題

 次に、J大学のM先生は、以前話をした大学4年の春休みの「ギリシア研修旅行」で引率をして頂きました。それ以来のご縁で、公私ともに大変お世話になりました。
 特に、大学院に進学してからは、私の大学とJ大学、中央大学、立教大学の大学院は、単位交換制度があり、M先生の授業の単位が、そのまま私の大学院の単位として認められました。M先生の大学院の授業に参加するために、毎週四谷に通っていました。また、友人のI君も授業で一緒でしたので、授業の後は大学院の研究室にも出入りして、厚かましくも隅の方の座席をお借りしていました。

 M先生のご自宅は、東横線の「都立大学前」で、毎年、お誕生日(6月6日:偶然私の母親と同じ誕生日でした)近くの週末には自宅を開放して、ゼミの学生を中心に私などの外部の学生らも招いて下さり、賑やかなパーティーが開かれました。毎回、総勢20名を超える人が参加していましたが、準備に学生も手伝っていましたが、奥様が一番大変だったでしょうね。 
 先生のお母様も、当時ご健在で90歳を超えていたと思いますが、かくしゃくとして学生の話相手をしていました。(流ちょうな英語を話され、当時英語の家庭教師をしていたとお聞きしました)。私が学界で発表があることを話すと、「大人に交じって大変ね」とおっしゃったのを、今でも覚えています(笑い)。
 また、M先生は大変な蔵書家で、本の重みで家の床が抜けたという実話の持ち主です。私が訪ねた当時は、鉄筋の床の移動書架となっていました。先生が亡くなられた後は、多くの書籍はご縁のある大学などに引き取られました。

取りあえず、今日はお二人の先生のお話しまで。

次回は、もう一人、お茶の水のM大学のB先生のお話をします。

*私のお気に入りの「格言」

幸福であるために、
自由であるために、
気高い心を持つために、
今の自分の思いを捨てよ。
そして、あたかも奴隷の身分から解放された人のように、
ひとつ頭を持ち上げるのだ。

ーエピクテトス『語録』Ⅱ 16
(ローマ時代のストア派哲学者:自身解放奴隷)

*ニケ
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