「思い出すことなど、など」(第8話)

第8話:

 時は、大学3年の終わりの頃です。
ゼミで、指導教官のH先生から、一枚のパンフレットを紹介されました。
 それは、四谷にあるJ大学(一応伏せ字で)、「西洋史古代史研究会(西洋研)」主催のギリシア研修旅行(記憶が曖昧で日数は確かではありませんが、確か、10日から15日ほどの旅だったと記憶しています。間違っていたら失礼)の案内でした。
 最初、「西洋研」と聞いて、上野の精養軒を思い出しましたが(笑い)。

 結局、そのギリシア旅行に参加したのが、色々な意味で運のつきでした。(笑い)

 旅行は、四年生になる前の春休みで、当時、私は就職しようか、大学院に進もうかと悩んでいるときでした。
考えて見れば、その時点でそんな悠長なことを行っていたのですから、今の就職事情とは大違いですね。
当時は、まだ就職活動も4年に入ってからだったような気がします、もしかしたら、私だけだったかも知れませんが(笑い)

 というわけで、春休みに念願の「ギリシア研修旅行」に参加しました。
当時私は、部屋に「アクロポリス」の大きな写真を飾っていたのですが、本物を見たときには本当に感動しましたね。

 その時の写真がありますが、例の大学の入学式の時の「ブレザー」を着て、片手を上げて指をさし、天を見上げて立っている姿は、本当に舞い上がっていますね。(笑い)
 アテネのアクロポリスを始め主要な遺跡を巡りましたが、私には、「デロス同盟」で有名なデロス島が印象的でしたね。
 デロス島は、遺跡しかない島で、観光地で有名なミコノス島から、はしけのような小舟に乗って上陸します。滞在は、数時間しかできませんが。

 旅行には、当時アテネではだだ一人の日本人ガイドのSさんに案内してもらいました。
遺跡で、朗々とホメロスの『イリアス』の冒頭を暗誦して頂きました。
 Sさんは本当になんと言って良いか、豪傑といっていいのか、大学院時代に「ギリシア哲学」を勉強するためにアテネに留学して、それ以後一度も日本に帰国していませんでした。
 年齢はよく分かりませんでしたが、20代でやって来て、当時はおそらく30代の中頃だったでしょうか。
 パスポートの出国の所には、その時の日本の出国の判しかないわけです。現地でガイドの資格を取り、生活をしていました。

 後年、私が留学したときには、近所に住んでいたこともあり、本当にお世話になりました。
結局、その後(60代頃でしょうか)病気になって、それを機にようやく日本に帰国して、直ぐに帰らぬ人になりました。
40年間以上、一度も日本に帰ることがなかったですね。

 最後に、この旅行で、私はJ大学のI君と知り合いになりました。
彼とはそれ以後、半世紀ほど近く付き合っているわけで、私にとってはかけがいのない友人の一人ですね(最近は、会う機会もありませんが)。

次回は、彼との出会いを話します。

*私のお気に入りの「詩」

うつくしいもの

わたしみずからのなかでもいい
わたしの外のせかいでも いい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ、在るということが 分かりさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふに つかれたこころ

(八木重吉『秋の瞳』より)