「思いだすことなど、など」(第4話)

第4話:
 
 今日は、前回の浪人時代の続篇です。少し、浪人生活と受験のことを話してみます。

 当時、生活費は月末に実家から現金書留で送金してもらっていました。送金額は、17,000円でした。下宿代が、7,000円で、残りの1万円で生活していました。当時、ラーメンは300円ぐらいでしたか(記憶が少し怪しいですが,、間違っていたら失礼)、換算したら、1万円の貨幣価値は、今の3万円から5万円ぐらいでしょうか。もちろん、それだけの生活費では食べていくのが精一杯です。(笑い)
 坊主になったのも、おわかりでしょう。(そう言えば、私の坊主頭をまねて、2,3人の住人が坊主になりましたね。皆、その頃、頭が少しおかしかったですね。笑い)

 今でも覚えていますが、お金が届いた日は、少し贅沢をして、近くのトンカツ屋さんで、カツ丼を食べるのが楽しみでした(笑い)。それでも、二浪している隣の住人から、一度パチンコに誘われて行ったこともあります。(隣の住人は、そんなことをしているから、2浪になったのでしょうが。笑い)

 そういえば、こちらには、高校時代のブラバンの同級生も上京していて、一人は新星堂というレコード店に就職し、一人は同じく浪人生でした。たまに、三人で会って、時々新宿などに足を伸ばしたこともありました。確か、新宿市役所の側の「風林会館」という娯楽センターで「ビリヤード」などをしたこともありました。

 でも、基本は真面目に勉強していました。(言い訳がましいですが。笑い)逆に、当時は、受験勉強ばかりしていましたね。まあ、浪人生ですから当然ですが。

 少し、老人の自慢話をすれば、成績の方は、一度公開模試で10位以内に入り、名前が掲載されたこともありました。
進学進路の先生も、これならどこを受けても大丈夫なんて、適当なことを言っていました。(笑い)

 さて、季節は巡り、受験シーズンに突入しました。当時、外に行くのも面倒で、時間ももったいないので、カップラーメンを箱買いして、毎日それを食べていましたね。夜はこたつのまま、下に布団を敷いて、眠っていました。まあ、不健康そのものですね。

 そういうこともたたったのか、本命の大学の受験前に、風邪を引いてしまいました。風邪からウイルスが目に入って、角結膜炎(だったかな)、両目が充血してほとんど物が見えなくなりました。
 受験は散々で、試験当日、大きなレンズ(虫眼鏡)を購入して、試験監督の許可を得て持ちこみ、試験に臨んだのですが、ほんの少し問題を読んだだけで時間切れでした。結局、試験は中断して退場し、結果はいうまでもなく「桜散る」でした(笑い)。

 やさしい友人は、「病気のせいで受験に落ちたと、言い訳が出来たではないか。」と慰めの言葉をかけてくれました。(笑い)まあ、確かに、今思えば体調万全でも、結果は同じだったかも知れませんね。

 幸い、風邪を引く前に、最初に受験した渋谷の「A大学」(一応、伏せ字に。笑い)に合格していましたので、2浪は免れました。

というわけで、次回から大学編です。

*私のお気に入りの「詩」

生命は

生命は
自分自身だけでは完結できないように
作られているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から見たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

ー 吉野 弘「生命」より