おもいだすことなど、など(第13話)

第13話:

 今日は、B先生との交遊についてお話しします。

 前回、ギリシア語の読書会についてお話ししましたが、その後、読書会は、M大学の大学院の学生の他に、J大学のK君やY君なども参加して、総勢6〜7名になりました。
 おそらく、皆そうだったと思いますが、予習が間に合わず徹夜することもしばしばでした。
今でも思い出しますが、四街道の先生の自宅で読書会をすることもありましたが、行く途中の電車の四人がけの箱席で、I君と二人で向かい合って辞書を開いて予習したこともありました(笑い)。

 そう言えば、一度、何かの機会に、大学の授業の時に先生の奥様が顔を出したことがありました。授業の間、奥様は後ろのソファーに腰をかけられて聞いていました。先生は、とても緊張していて、日頃見られないお顔が見られて面白かったですね。(笑い)

 読書会の後は、決まってお茶の水の駅の近くの焼き鳥屋さんで、宴会が始まりました。そろそろお開きになるときに、しばしば、先生は私に、「今日は、おまえのところに泊まるから、家に電話してくれ」とおっしゃいました。私が奥様に電話すると「いつもすみませんね」とって、苦笑していました。もっぱら、アパート住まいの私とかI君の家が宿泊施設になりましたが、今考えれば昔の大学の友人達と同じく、ホテル代わりでしたね(笑い)。

 もちろん、他の付き合いの良い学生も2次会に参加して、一緒に我が家まで来て狭い部屋で雑魚寝です。
押し入れを開いて、そこに足を入れて眠っている人もいましたね。
 こうしたことも最初は驚きましたが、だんだんと慣れてきました。(笑い)
泊まった日の翌日に、先生は大学の事務に電話して、体調が悪いからと授業を休講にしたことも何度かありましたね。
 今では、考えられないですね。(今は、授業を休講にしたら、必ず補講が必要なようですね)。もちろんB先生の個性もありますが、ある意味、それが許された古き良き時代だったのかも知れませんね。

 取りあえず、三人の先生方についてのお話しは、ここまでにします。

 次回は、失念していたのですが、大学の2年のときに、オーケストラ部でアメリカ演奏旅行をしたのを思い出しました。時を巻き戻して話してみます。

*私のお気に入りの「詩」

「さようなら」

ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて

ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない

ー谷川俊太郎『はだか』より

*ニケ

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