おもいだすことなど、など(第12話)

第12話:

 さて、三人目の先生は、M大学のB先生です。
 B先生は、ギリシア史がご専門で、私が大学時代に本学の短大の先生でした。
 B先生は、私が大学院に入ってから、長い間ギリシア語(デモステネスの弁論など)を、一緒に読んで下さりました。
今日は、そのきっかけなどを話してみます。

 B先生は、短大だけではなく大学でも講義をされていて、私は4年の時にギリシア通史の授業を受講しました。印象に残っているのは、最後の授業でした。正確に言うと、学年末の試験当日の授業です。今も同じでしょうが、当時は授業を担当された先生が、試験監督も担当していました。

 試験当日、我々が教室で待っていると、B先生はやって来たのですが、手に試験問題を持っていません。教壇に立って最初に一言、「先日、私が授業で話したこととは違った論文を読んだが、そちらが正しいと思う。そこで、試験を取りやめて、授業をやり直します」といって、授業を始めました。
 唖然としましたが、(内容はもう覚えていないのですが)その時の印象は強烈でしたね。結局、試験は中止になってレポートに切り替えられました。今なら、色々問題になりそうですね(笑い)。
 その時に、授業を取っていたクラスの人(2〜3人)から、卒業後春休みに先生のお宅に伺う話を耳にして、私も仲間に入れて頂きました。

 先生のご自宅は千葉の四街道で、その時は、その後個人的に自宅に通うようになるなど想像もしていませんでしたね。

 当日、ご自宅での会話の中で、私が大学院に進学するのを聞いて、先生は「ギリシア語を読んでいるのか?」と聞かれました。私が、「読んでいない」と答えると、「一緒に読もう」と誘ってくれました。
 
 確か、この年に短大から、M大学に移られたと記憶しています。こうして、授業ではありませんが、夕方の休み時間に研究室で、個人的にギリシア語の読書会に参加させて頂きました。読書会は、最初、M大学の大学院生のYさん(ご一緒だったのは1年ほどで、北海道のHK大学に就職され、その後四国のE大学に移られました)と私の二人でした。二人では直ぐに順番が回ってきて大変なので、友人のI君を仲間に引き混みました(笑い)。
 この読書会は、その後大学院の正式な授業に移ったのですが、それでも私などの外部の者の参加を許して下さいました。

 B先生は、本当に強烈な個性の持ち主でした。お父さんが牧師さんで(ギリシア語の辞典を編纂した学者でもあります)、戦時中は「国家公認のイジメ」に会ったようです(本人の弁)。
 高校生の時に、校長をぶん殴って退学になり、(理由は教えてはくれませんでしたが、本人によれば本当に許せない校長だったそうです。笑い)「大学入学資格検定」を受けて東大に入学した、ちょっと変わった経歴の持ち主です。

今日は、ここまでにします。
次回、もう少し、B先生との交遊を話してみます。

*私のお気に入りの「言葉」

私は何一つ期待しない(ゼン・エルピゾー・ティポタ)
私は何一つ恐れない(ゼン・ポブウーメ・ティポタ)
私は自由人である(イメ・レフテロス)

―ニコス・カザンザキス(1883〜1957年)の墓碑銘より
(クレタ島出身の小説家:『その男ゾルバ』の作者)

*ニケ
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