「思い出すことなど、など」(第1話)

第1話:

 私が「歴史」に興味を持ったのは、中学生の時でした。
当時、「ベンハー」とか「クレオパトオラ」などのスペクタクル映画が流行っていましたが、そうした映画の影響もあったのでしょう。
成績は理科系はまったくだめでしたが、自分で言うのもなんですが、社会科系は結構強かったですね。(笑い)

 クラブ活動は、軟式テニス部に所属して、3年間活動しました。
顧問の先生が厳しくて、試合中ミスをしてラケットを見つめていると、「穴はあいていないぞ」と叫ばれ、コートの外に呼ばれてラケットのグリップで「がん」と頭を殴られることは、いつものことでした。
これは、頭から足の先まで、ジーンとしびれます。
今でも、その痛さは忘れていませんね。
試合中ですから、今なら、教育委員会で問題となるでしょうね(笑い)。

 3年生の時、クラスでは図書委員を、生徒会では図書委員長を務めていました。
私の輝かしい「長」のつく仕事は、それっきりでしたが。(笑い)

 中学を無事卒業して、地元(香川県観音寺市)の男女共学の公立学校に入学しました。
高校時代も、成績の方は「社会科」高、「理科系」低でした。
クラブ活動は、今度はブラスバンド部に入り、トロンボーンを3年間吹いていました。

私は、その時まで楽器に触ったこともありませんでした。
(いや、正直に話しますと、中学生の時に、ギターを購入しました。
「ギターが弾けると、モテる」と言う友人の影響でした。まったく、不純な動機です(笑い)。
結局、少しポラン、ポランとやっただけで、タンスの肥やしになりました。笑い)

入部するまでは、全く知らなかったのですが、私が入ったブラスバンド部は、全国大会出場を狙っているような部で、全く体育系のノリでした。譜面に手書きで「目指せ全国大会!」なんて書いていました。(笑い)
(文化系のヒツジのお面を被った、その実はオオカミのような体育系のクラブでした)

 私の一年のときの担任女教師は、最初の個人面談で、私がブラスバンド部に入部したと言ったら、「進学しないで、就職するのですか?」と真面目な顔をして尋ねられました(一応、私の高校は進学校で、当時就職する人はあまりいませんでした)。

 実際、今思えば練習は異常でしたね。
確か、放課後練習は毎日でした。朝練とか、お昼休みに練習している人もいました。夏休みも毎日練習で、冬休みは正月の三が日だけが休みだったように記憶しています。
その結果、成績はあっというまに急降下でした。

今日は、ここまでにします。
次回は、ブラバンの続きをお話しします。