レスボス島(別名:ミティリニ島)

小アジアにほとんど接するかのように浮かぶレスボス島は、クレタ島、エウボイア島についでエーゲ海第3の大きさを誇る島です(面積1632平方km)。

この島は前10世紀頃、アイオリス方言を話すギリシア人によって定住され、アイオリス方言の地域に分類されていますが、先住民の文化も残り、キュベレ(=キュベベ:アナトリア半島のプリュギアで崇拝され、ギリシア・ローマにも広がった大地母神)信仰が島の数カ所で続いていました。

古典期にはミュティレネ(現在の中心都市ミティリニ)、メテュムナ、ピュッラ、アンティッサ、エレッソス(現スカラ・エレッソス)の5ポリスが分立し、海上交易で繁栄しました。

また、ミュティレネとメテュムナは、ライバルとして長く島の主導権をめぐって対立しました。

歴史的には、前600年頃シゲイオン(ヘレスポントス近郊の都市)の領有をめぐってアテネと対立し、ペイシストラトスによって奪回されるまでここを領有していました。

また、ペロポネソス戦争時(前428年)には、ミュティレネはスパルタの援助でアテネに反乱を起こしましたが、メテュムナの裏切りなどもあり、包囲戦の結果敗北しました。(トュキュディデス 3, 36−50)

なお、この時の有名なミュティレネをめぐる処遇、(最初アテネは、降伏したミュティレネの成年男子全員の死刑と婦女子の奴隷を決議。クレオンの弁論とそれに対する反論。翌日の再度の民会決議による前日の決議の取り消し。)などは、当時のデマゴーゴス(民衆指導者)の指導するアテネの民主政の実体をよく現しています。

また、文化的には、前古典期には女流詩人サッポー(前600頃)、や酒と政治を歌ったアルカイオスのような詩人(前590頃)、古典期以降には歴史家ヘラニコス(伝承では前490〜405)、哲学者テオフラストス(前370頃〜286)らを輩出しています。

ミュティレネ1(港を含む島影)

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(写真;1988年7月、船上より撮影。)
ミュティレネ(現ミティリニ)は、島の東端に位置しており、古代の南の港が、現在のメインハーバーになっています。島の中心都市であり、日常的にもレスボスはミティリニと呼ばれています。

同上2(劇場1)

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(写真:同年同月、東より撮影。)

町の西の端の丘に、古代の劇場の遺構が残っています。

同上3(劇場2)

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(写真:同年同月、西より撮影。)

同上4(博物館)

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(写真:同年同月撮影、)

ライオンのモニュメント。

メテュムナ1(要塞)

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(写真:同年同月、南より撮影。)

島の北端メテュムナのアクロポリス(カストロ)に残るジェノヴァの城塞。
町を支配した有力な貴族ガッティゥシオ家によって建設。

同上2(古代の港)

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(写真:同年同月、東より撮影。)

アクロポリス(カストロ)より見た古代の港。

同上3(アクロポリス1)

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(写真:同年同月、南より撮影。)

アクロポリスには、わずかに古代の城壁(前8世紀)の跡が残っています。

同上4(アクロポリス2)

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(写真;同年同月、北より撮影。)

ピュッラ1(遠景)

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(写真:同年同月、南西より撮影。)

レスボス島は、南側に深い入り江を二つ持ち、ピュッラは西側のカロニス湾に臨んでいます。

同上2(城壁跡)

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(写真:同年同月、南西より撮影。)

同上3(城門)

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(写真;同年同月、北東より撮影。)

同上4

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(写真:同年同月東より撮影。)

カロニス湾を望む。

エレッソス1(アクロポリス)

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(写真:同年同月、西より撮影。)
エレッッソスは島の西端に位置しています。
この町は、前述のサッポー、テオフラストスの生誕の地として有名です。

サッポーは、彼女によって選ばれた若い娘しか入れないある種の学校をレスボス島に作り、様々な女性に対する愛の詩を多く残しました。

そのため、古くからサッポーと同性愛を結びつける指摘がなされており、レスビアン(女性の同性愛)の言葉は、この島の名称に由来しています。

同上2(城壁)

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(写真:同年同月、西より撮影。)

同上3(港)

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(写真:同年同月、アクロポリスの中腹、西より撮影。)

同上4

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(写真:同年同月撮影。)
アクロポリス頂上に残る、ビザンティンージェノヴァ時代の城塞の遺構。

(2016.8.27)

サモス島

サモス島はエーゲ海の南東、小アジアのミュカレ岬(トルコ)から約3kmほど離れた沖合に浮かぶ島です(面積447平方km)。

古代のサモスは、島の南端のピサゴリオン(古代の自然哲学者ピタゴラスの名にちなむ)周辺にあります。

前6世紀半ば、サモスは僭主ポリュクラトスの治下で最盛期を迎えました。

港には彼が建造した防波堤の一部が今も残り、彼が掘らせた「エウパリノスの水道(地下水道)」は、ヘロドトスにより古代世界の驚異の一つに挙げられています(写真7)。

また、古代のアクロポリスの中腹には、城壁の一部も残っています(写真3,4)。

オリエント世界の文化交流として有名なヘラ神殿の聖域(ヘーライオンは、ピサゴリオの町から西へ8kmの地点にあります(写真8,9)。

最初のヘラ神殿は前8世紀に建立されたもので、ギリシアでも最古の神殿の一つでした。

前575−560年頃、ロイコス(サモスの著名な彫刻家)と一説によるとテオドロス(建築家)によって建てられたイオニア式の神殿は、前525年頃、火事により破壊され、僭主ポリュクラテスによって新たな神殿がさらに西よりに再建されました。

そのスケールの大きさは、現在たった1本だけ残る円柱からも偲ぶことができます。

神殿の建築は前3世紀まで続いたが未完成に終わっています。

また、神殿の東側には、ローマ時代の神殿や浴場が発掘されています(写真11,12,13)。

島の北東部の中心都市ヴァティ(サモス)の考古学博物館には、ヘライオンで発見された巨大な「クーロス(青年)像」(高さ4.75m)が展示されています。

劇場1

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(写真1:1987年7月、南より撮影。)

ピサゴリオン(古代サモス)のわずかに残る劇場跡です。

同上2

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(写真2:同年同月、北西より撮影。)

城壁1

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(写真3:同年同月、東より撮影。)

アクロポリスに残る城壁の一部。

同上2

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(写真4:同年同月、西より撮影。)

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(写真5:同年同月、南より撮影。)

アクロポリスに残る塔の遺構。

アクロポリスからの遠景

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(写真6:同年同月、北より撮影。)

エウパリノスのトンネル(地下水道)

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(写真7:同年同月撮影。)


<ヘライオン>
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(周藤芳幸編, 2003に加筆)


ヘラ神殿(ヘライオン)1

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(写真8:同年同月、西南西より撮影。)

同上2

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(写真9:同年同月、北より撮影。)

同上(祭壇)

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(写真10:同年同月、西より撮影。)

ローマ時代の神殿(神殿E)

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(写真11:同年同月、南東より撮影。)

ローマ時代の神殿(神殿A)

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(写真12:同年同月、南東より撮影。)

ローマ時代の浴場

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(写真13:同年同月、南より撮影。)

彫像と土台(複製)

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(写真14:同年同月、東より撮影。)

“ゲネレオス(彫刻家)”グループと呼ばれる彫像と土台で、実物は、博物館に保存されています。
こうした彫像が「聖なる道」に沿って並んでいました。

聖なる道

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(写真15:同年同月、北東より撮影。)

写真の右手後方に、ヘラ神殿が見えています。

(2016.8.30)

コス島

コス島は、「医学の父」ヒッポクラテスの生誕の地として有名です。

この島はドデカニサ諸島のひとつに数えられ、島の最北端と対岸の小アジアとはわずか5kmしか離れていません。

前5世紀にはアテネに支配され、後にはマケドニア、ロドス、そして最終的にはローマの支配を受けました。

港には、15世紀に建てられた二重の城壁を持つ「騎士団の城」が残され、道路を隔てたプラタナス広場には、「ヒポクラテスの木」と呼ばれるプラタナスの巨木が立っています。

ヒポクラテスがその木陰で教えたという伝説を持つが、実際は樹齢500年ほどのものです。

近くには古代のアゴラ(写真1-3)とアフロディーテの神殿(写真4,5)が発掘されており、さらに南の町外れにはヘレニズム時代の神殿の跡(写真6)とディオニュソスの祭壇(写真7)が残っています。

また、市内の「博物館」にはヒポクラテスの立像などのヘレニズム・ローマ時代の彫刻が展示されています。

アクロポリスの周辺では、ローマ時代の「浴場」や「ギムナシウム」などの遺構が発掘され、オデオン(音楽堂)(写真8)が修復されています。

最も重要な遺跡は、市内から南西4kmの所にある医神アスクレピオスに捧げられたアスクレピエイオン(写真17:全景)です。

前4世紀末、ヒポクラテスを記念して建てられたもので、遺跡はコス平野を眺める丘の斜面を四つのテラスに区切った大規模なものです。

第一のテラスに、ローマ時代の「浴場」の跡があり(後1世紀)、プロピュライア(前門)を通って第二のテラスに入ると、三方を柱廊で囲まれ、正面に泉屋(写真9)を持つ壁で仕切られた中庭が広がっています。
そこでは、アスクレピオスの祭祀が執り行われたと考えられています。

大階段(写真10)を上った第三のテラスには、右側(西側)には「イオニア式の神殿」(4世紀の末か3世紀の始め)(写真10)中央にその神殿付属の階段を持つ「大祭壇」(写真11,12)、左側(東側)に今も一部残る円柱廊で囲まれたイオニア式の「ローマ人の神殿」跡(写真13,14)が残っています。

ローマ人の神殿と付属の半円形のエクセドラ(公共ベンチ)は、ともに皇帝礼拝のためにもちいられたと考えられています。

正面階段を登った上頂上の第四テラスに、「アスクレピオスの神殿」(前2世紀)が建っていました。(写真15,16)
縦11本横6本の円柱も持つ、ドーリス式の建築でしたが、現在はわずかに黒の大理石の基壇を残すのみです。

アゴラ1(港地区)

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(写真1:1989年6月、南西より撮影。)

同上2(ヘレニズム時代のヘラクレスの神殿)

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(写真2:同年同月、北東より撮影。)

同上3(ヘレニズム時代のストア)

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(写真3:同年同月、北より撮影。)

アフロディーテの神殿1

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(写真4:同年同月、北東より撮影。)

同上2

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(写真5:同年同月、南西より撮影。)

ヘレニズム時代の神殿

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(写真6:同年同月、南より撮影。)

ディオニュソスの祭壇

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(写真7:同年同月、南西より撮影。)

オデオン(音楽堂)

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(写真8:同年同月、南西より撮影)


<アスクレピエイオン>
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(周藤芳幸編, 2003による)


泉屋

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(写真9:同年同月、北東より撮影。)

大階段

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(写真10:同年同月、北より撮影。)

イオニア式の神殿

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(写真11:同年同月、頂上の第四テラス、南より撮影。)

大祭壇

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(写真12:同年同月、頂上第四テラスより、南南西より撮影。)

大祭壇(手前)とローマ人の神殿(後方)

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(写真13:同年同月、西より撮影。)

ローマ人の神殿

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(写真14:同年同月、西より撮影。)

アスクレピエイオン(アスクレピオスの神殿)1

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(写真15:同年同月、北より撮影。)

同上2

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(写真16:同年同月、南より撮影。)

同上(全景)

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(写真17:同年同月、南より撮影。)

頂上第四テラス、アスクレピオスの神殿前からの眺めはすばらしく、はるか後方に、コス平野が望めます。

(2016.9.6)

ロドス島

ロドス島は、エーゲ海南東部のドデカネス諸島の中で最大の規模を誇り、ギリシアで4番目に大きな島です。

すでに、先史時代から文化の痕跡が認められますが、ドーリス人が渡ってから活発な活動が展開されました。

エーゲ海とオリエント、とりわけエジプトとの海上交易地として、すでにミケーネ時代から繁栄していました。

『イリアス』の軍船表には、ロドス人が後述の「リンドス」、「イアリュソス」、「カミロス(カメイロス)」と言う3都市に分住していたことがわかります(第2歌、653-670行)。

これらの3都市はそれぞれが独立したポリスとして発展した後、前408年に島の北端に新たな都計画都市「ロドス」を建設し、そこへ集住して単一のポリスとして、以後この「ロドス」の町が島の玄関口として発展しました。

また、港の入り口に立っていた、太陽神ヘリオスの青銅巨像は、「古代七不思議」の1つに数えられています。

ヘレニズム時代には、強力な海軍を擁し、マケドニアのデメトリオス(ポリオルケテス)の攻囲(前305〜304年)を退けた後、ヘレニズム諸王国のバランス・オブ・パワーを巧みに利用して、前3世紀から前2世紀前半にかけて東地中海随一の商業国として繁栄を極めました。

しかしながら、以後、ロドスは複雑な歴史を歩みます。

ローマの進出により、ローマの属州になった後、イスラム、ヴェネチアに支配され、第4回十字軍の混乱に乗じて独立しましたが、14世紀初頭聖地イェルサレムから逃げてきた聖ヨハネ騎士団に占領されてしまいます。

16世紀にはオスマン・トルコの支配下になり1912年にはイタリアが占領、第二次大戦の後半にはドイツによって占領され、ギリシアに戻ったのはようやく1945年になってからのことでした。

こうして、ロドスには古代の遺跡だけではなく、それぞれの時代を物語る建設物や、生活習慣が今も残っています。


<ロドス>
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(周藤芳幸編, 2003に加筆)


ロドス1(港)

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(写真:1989年6月、船上北西より撮影。)

ロドス島の古代の港を船上より望む。

同上2(アフロディーテ神殿)

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(写真:同上、北東より撮影。)

旧市街に残るアフロディーテ神殿の遺構。

同上3(アポロン神殿)

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(写真:同上、南西より撮影。)

旧市街の南西1kmのアクロポリスに残るドーリス式のアポロン神殿。

同上4(スタディアム)

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(写真:同上、北より撮影。)

アポロン神殿の東側に位置(前2世紀)。

同上5(劇場)

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(写真:同上、東より撮影。)

アポロン神殿の北に位置(800人収容)。

同上6(ゼウス神殿)

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(写真:同上、南より撮影。)

劇場の北、約500mに神殿の一部が発掘されています。

同上7(騎士団通り)

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(写真:同上、東より撮影。)

ロドスの旧市街には、聖ヨハネ騎士団時代(14〜16世紀)の城壁、各語族(イギリス、スペイン、ドイツ、フランスなど7つに分かれていた)の館などが数多く残っています。

同上8(未確認の建物跡)

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(写真:同上、北より撮影。)

グランド・マスター(騎士)の宮殿跡の中庭から発見された未確認の建物跡。(アポロン神殿?)

同上9(城壁・宮殿)

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(写真:同上、北より撮影。)

船上より、新港と城壁・宮殿を望む。


<リンドス>
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(G.R. Konstantinopoulos, Lindos, Apollo Editions,年代不明に加筆)


リンドス1(船のレリーフ)

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(写真:同上、北より撮影。)

リンドスは、中世には城塞化され、海際にそそり立つアクロポリス(116m)上に、アテナ・リンディアの聖域が祀られました。

このアロポリスの城壁外に彫られた船のレリーフは、「サモトラケのニケ」の作者として知られるヘレニズム時代の彫刻家ピュトクリトスが刻んだもの。

同上2(アテナ神殿)

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(写真:同上、北より撮影。)

アクロポリスの頂の南端に、前348年の火災の後に再建された小さなドーリス式のアテナ神殿(23mx7.5m)の遺構が残っています。

同上3(ヘレニズム時代の大ストア)

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(写真:同上、南西より撮影。)

両翼を持つ大ストアで、写真は東側の部分。

同上4(プロピュライアの大階段)

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(写真:同上、北東より撮影。)

同上5(小港)

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(写真:同上、北より撮影。)

アクロポリスの南の小さな港。

同上6(大港)

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(写真:同上、南より撮影。)

アクロポリスの北の大きな港。

イアリュソス1(修道院とアテナ・イアリシア神殿)

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(写真:同上。北西より撮影。)

イアリュソスのアクロポリスは、ロドスから西10km、フィレリモス山(267m)上に位置します。
現在、都市は未発掘ですが、聖ヨハネ騎士団時代の修道院の近くに、アテナ・イアリシア神殿(前3世紀頃)の遺構が残っています。

同上2(アテナ・イアリシア神殿)

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(写真:同上、北東より撮影。)

カミロス(カメイロス)1

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(写真:同上、南東より撮影。)

カミロスの遺跡は海に面した南北に細長い丘稜地にあります。
写真中央にヘレニズム時代の大神殿。
手前はヘレニズム時代の住居跡です。

同上2(ヘレニズム時代の大神殿。)

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(写真:同上、北より撮影。)

同上3(アテナ・ポリアス神殿)

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(写真:同上、北東より撮影。)

(2017.8.6)

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