根岸・子規庵(正岡子規旧居)

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(写真1:2018年5月4日撮影)

俳人正岡子規が根岸の里で没したのは、1902年(明治35年)9月19日でした。
享年34歳。

子規庵」は、子規が亡くなるまでの約8年を過ごした建物(昭和20年戦災で焼失)を、昭和25年に寒川鼠骨(さむかわそこつ:子規門下の俳人)等により再建されたものです。

落語の世界では、よく「根岸の里の侘び住まい」とまくらで、振られたりもしますが、今はそんな風情は残念ながらありません。

「子規庵」の場所は鶯谷の北口駅から、歩いて5分ぐらいですが、目の前には高速道路が通り、ラブホテル街の片隅にあり、子供を育てるにはあまり環境の良い所とは言えません。(笑い)

上の写真は、「子規庵」の子規の病床の間から見た庭です。

庭の様子は子規の『小園の記』にその配置図とともに詳述されていますが、もちろん、広さは同じでも(二十坪)、木々や草花の種類は当時とは違っているようです。

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(写真2:同上)

子規はこの病床で、結核とカリエスに侵されながら、死の直前まで『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』などの病床日記を綴りました。

現在、来訪者は、中央の愛用の文机(復元)に座る事ができます。

その文机は、説明書きによりますと、曲がったまま伸びない左足のために中央に穴が空けられています。

それがとても印象的でした。

「子規庵」に展示されている昔の写真では、この部屋からは、かつて左の奥に上野の山が見えていました。

『小園の記』には、上野の山の記述がよくありますが、残念ながら、今は高い建物に遮られ見ることはできません。

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(写真3:同上)

庭の片隅には、子規の絶筆三句の句碑が建立されていました。

「をととひの へちまの水も 取らざりき」
「糸瓜(へちま)咲きて 痰(たん)のつまりし 佛(ほとけ)かな」
「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」

お昼は、近くの子規も愛用した豆富料理屋「笹の雪」(初代が江戸で初めて絹ごし豆腐を作り、9代目当主からは「腐」はふさわしくないと「富」と表記。今は11代目当主という名店です)で、色々な豆富料理を味わいました。

舌触りが何とも言えず、おいしかったのですが、ただ、お値段は、私のよく行く中華屋さんのランチの3倍以上はしました。(笑い)

なお、子規もこの店の句をいくつか詠んでいます。

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(写真4:同上)

「笹の雪」のお店の前の句碑です。

「水無月や 根岸涼しき 笹の雪」(右)
「あさがおに 朝商(あきな)いす 笹の雪」(左)

こうした句碑が、根岸界隈に点在していました。