『夏目漱石 <ちくま日本文学全集>』
『夏目漱石 <ちくま日本文学全集>』筑摩書房、1992年、478頁、1000円
漱石再読。
目次は、以下の通りです。
- 坊っちゃん
- 吾輩は猫である 抄
- 夢十夜
- 思い出す事など 抄
- 私の個人主義
四国・松山を舞台にした『坊っちゃん』の小説(新任教師として赴任した熱血漢の「坊ちゃん」の青春小説?)の内容については、ここでは詳しく触れませんが、再読して、若い頃(恐らく高校時代)には、あまり気にならなかった、四国・松山をやたらに田舎(田舎者)と書いているのが目に付きました。故郷を離れて、少し四国びいきがあるのかもしれませんが、ざっと眺めて数えてみると22箇所ありました。
ほかにも野蛮なところ、こんな所、極めつけは、最後の東京に逃げ帰る時などは「不浄な地」から離れる、とまで書かれています。もちろん、田舎の対極は東京で、江戸っ子の漱石にとっては、本当に当時の四国・松山は辺境の地だったのでしょう(松山の中学校に赴任して、滞在したのは一年です)。
もっとひどいのはマドンナの婚約者のうらなり先生が、赤シャツの策略によって日向(宮崎)の延岡に転勤させられますが、それを聞いた坊っちゃんは、「猿と人が半々にすんでいるような所」と散々です。
ただ、松山の人の名誉のために一言申し添えておけば、坊っちゃんは(漱石は)道後温泉だけは絶賛しています。小説の中でも、坊っちゃんはしきりに温泉に行っています。(現在、道後温泉には漱石の部屋があります。)
結局、最後には、坊っちゃんは卑劣な教頭の赤シャツ、とりまきの野だをぶん殴って(社会的には敗北ですが)、鬱々としていた気持ちを晴らし、さっさと東京に引き上げるのですが、それなどは漱石の当時の精神状態が良く現れているような気がします。
また、漱石先生は女性を描くのがどうも今一つに感じられます。マドンナ(脇役とはいえ)の輪郭がよくわからず、結局、この女性の存在はいったい何だったんだろうと考えてしまいます。
『吾輩は猫である』は、やはりなんといっても出だしが素晴らしいです。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
これだけで、読者の心をぐっと掴んで小説の中に引き込みます。
猫の視点を借りた漱石の文明批評や、自分を含めた人物批評など、絶品のユーモア小説といっていいでしょうか。また、今回漱石を再読して、つくづく漱石の文章のうまさ(テンポ、歯切れの良さ、ニュアンスなど)に感心しました。
いずれにせよ、漱石の小説は本当に面白いですね。
『夢十夜』は、「こんな夢を見た。」で始まる(すべての話ではありませんが)、幻想的な短編十話。
『思い出す事など』は、修善寺での大量吐血の危篤の後、帰郷した後にその時の病状や心境などを記した漢詩を含むエッセイ。
『私の個人主義』は、学習院の輔仁会(校友会)での講演です。
※解説(奥本大三郎)によれば、漱石の有名な肖像写真(旧千円紙幣)は四十五歳の時のものだそうです。現代の我々の時代の顔と比較すれば、本当に厳格な立派な顔をしています。
また、当時の文人と呼ばれた人たち(森鴎外、芥川龍之介など)みんないい顔をしていますね。
ちなみに、漱石は四十九歳で亡くなっています。今から思うと本当に若いですね。
下記の写真は、以前FBに投稿した漱石のお墓です。
(2017年9月10日:池袋・雑司が谷霊園にて撮影)
※以前の「読書日記」は、「読書日記など」のブログに掲載しています。