脚註モセ

1. 前5世紀のアテネの政治家の発展についての問題に関しては、W. R. Connor, The New Politician of Fifth Century Athens, Princeton University Press, 1971. を参照。

2. La fin de la démocratie athénien, Paris, P. U. F. 1962とJ. K. Davies, Athenian Propertied Families, 0xford, 1971; Wealth and the Power of Wealth and the Power in Classical Athens, Salem, 1984参照。

3. La fin de la démocratie athénien, pp. 303以下参照。

4. その点に関しては、前述の註1のConnorの著作に見られる。同様に以下の研究を参照。F. Ghimatti, I gruppi ateniesi fino alle guerre persiane,Rome, 1970; F.Sartori. Le eterie nella vita politica ateniese del Ⅵ e Ⅴ secolo a Cr., Rome, 1957 ; C. Pecorella Longo, Eterie e gruppi politic nel’Atene del Ⅳ secolo a.C., Florence, 1971, 同じく R. Sealey, Essays in Greek Politics, New Yoek, 1965と最近のM. I. Finleyの著作, Politics in the Ancient World,Cambridge, 1983(翻訳:L’invention de lapolitique, Paris, Flammarion, 1985)

5. 『ペリクレス伝』7節, 7-8

6. 恐らく、前4世紀と前5世紀の間の変化を考慮に入れなければならないだろう。プルタルコスによってもたらされた伝承の中では、概してフィロイ<友人>あるいはヘタイロイ<仲間>が問題になっている。(話題に挙がっている)前4世紀には、「友人」と「同僚」は同じように言及されたが、しかし、何よりも有名な政治家の防御のために発言する俸給者の行いが特に強調されている。デモステネス『平和について』第5節参照。アイスキネス『使節について』第71節では、περὶ τὀ βῆμα καὶ τὴν έκκλησίαν(演壇と民会で)将軍カレスのミストホロイ(俸給者)と言及されている。

7. 上記の註4での著作の中で、また以前にはDemocracy Ancient and Modern, London, 1973(翻訳:Démocratie antique et dέmocratie modern, Paris, 1976)

8. 特に、イソクラテス『平和について』54節、75節;123節以下。『パンアテナイ祭について』12節以下参照。

9. 『ゴルギアス』515d-516d.

10. ここで、デモステネスが、弁論家の役割を定義している『冠について』245節—247節の議論の好奇心をそそる句を思い起こさねばならない。つまり、弁論家は、これから生じるであろうことを予感し、人々を調和や活動へと駆り立てる。しかし、次の事実、弁論家には実行の遅れや誤りについての責任があるとは見なされず、従って、そうしたことについて説明する必要はないということを強調している。

11. その定義は、再度『ピリッポス弾劾 第2演説』第5節において、デモステネスに繰り返されるものであり、あるいは、「演説する者」(τοῖς λὲγοθσιν )と「聴衆」(τοῖς ἀκούουσιν)を対立させている。

12. デモステネスに関しての略述、G. Mathiey, Plaidoyers politiques, T. Ⅳ, Paris, 1947, pp129以下参照。

13. 人はイソクラテスが『アンティドシス(財産交換)』の中で、将軍ティモテオスが好意を保持した方が賢明であった演説家のことを示すのにポリテウオメノイを使用しているのに気づくであろう。(『アンティドシス(財産交換)132-134節』)

14. 弁論家と将軍の間の繋がりに関しては、アイスキネス『クテシフォン弾劾』7節;『使節について』71節参照。

15. P. Chantraine, Xénophon, Economique, Paris, p.108, n.3の注釈を参考。

16. そのテキストの重要性と解釈は、Ph. Gauthier, Un commentaire historique des Poroi de Xénophon, Genève-Paris, 1976を参照のこと。

17. 私はLa fin de la démocratie athénien, 133以下や論文“La vie économique d’Athenes au Ⅳe siècle : crrise ou renouveau ?”で、その問題に取り組んできた、F. Sartoによって集められたPraelections Patavine, Rome, 1972, pp.135-144参照。私は次の論文の中でメナンドロスの証言を再検討するつもりである。その問題に関しては、同様に、J. Pecirka, « The Crisis of Athenian Polis in the Forth Century B.C. « , Eirenè, XⅣ, 1975, pp.5-34に見える。

18. その問題に関しては、私の次の2つの論文を参照すること。”Citoyens actifs et citoyens passifs : une approche thèorique », R. E. A., LXXXI, 1979, pp241-249 ; « Citoyens actifs et citoyens passifs à Athènes au Ⅳe siècle av. J.-C. », Vorträge zur griechishen und hellenistishen Rechtsgeschichte, Cologne, 1982, pp.157以下。

(2017.11.6)