永訣の朝  (宮沢賢治『春と修羅第一集』より)

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谷川徹三編『宮沢賢治詩集』岩波文庫、1986年4月(第40刷)

けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
  ※(あめゆぢゆとてちてけんじゃ)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
  (あめゆぢゆとてちてけんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかに飛び出した
  (あめゆぢゆとてちてけんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいつしようあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
  (あめゆぢゆとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

…ふたきれのみかげのせきざいに
さびしくたまったみぞれである
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもようにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
  ※(Ora Orade Shitori egumo)
ほんとうにけふおまへはわかれてしまう
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
  ※(うまれでくるたて
   こんどはこたにわりやのごとばかりで
   くるしまなえよにうまれてくる)
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に變(かわ)つて
やがてはおまへとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ


※ あめゆきをとってきてください
※ あたしはあたしでひとりでいきます
※ またひとにうまれてくるときは
 こんなにじぶんのことばかりで
 くるしまないようにうまれてきます

有名な「雨ニモマケズ」と並んで、私の好きな宮沢賢治の詩の一つです。
わずかに残った雪を見ながら、読み返してみました。
何度読んでも涙腺が緩んでしまいます。

※ ブログの掲載後、知人から「宮沢賢治「永訣の朝」におけるいくつかの問題点」と言う論文を教えて頂きました。
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/13616
註は論文の冒頭の詩から引用させて頂きました。

なお、この論文の簡単な紹介を「雑録」に掲載しました。

(2018. 02. 09:改)